辛い報告
病院到着後、すぐに処置がはじまりました。
私はただ待つのみ。
なかなか説明は始まりません。
たまたま割と近くに住んでいる姉に事情を話し、宿の予約、食べ物をお願いしました。
そして時間が過ぎ、姉から荷物を受け取り、予約してもらっていた患者家族専用の宿のチェックイン時間は過ぎていきました。
流石に病院のソファーで朝まで過ごすのはきついので宿になんとか11時まで待ってもらえるように頼み込みました。
11時の15分前、先生がようやく来ます。
「今状態の悪い赤ちゃんを見ていて時間が無いので明日11時に着てもらえますか」とのこと
私は、じゃああやのは急いで説明するほど悪い状態ではないのかな?とほんの少しだけ安心したような記憶があります。
病院を出てすぐに歩きながら宿に連絡し、なんとか入れてもらいました。
荷物を置いて姉からもらった弁当を食べながら妻にビデオ通話。
どうだった?と聞く妻に「大変な状態の赤ちゃん見てて時間無いから明日来てって言われた」と説明。
この時までは妻も少しなんとか大丈夫かな?と希望を持っていたと思います。
妻の出発準備の入院時からビデオ通話していましたが、この日から頻繁にするようになりました。
私、妻、長女、あやのの家族4人がそれぞれ別の場所に引き離されてしまい、ビデオ通話に心を支えてもらう日々です。
なかなか寝付けなかったですが、なんとか少し寝れて翌日に。
11時近くになり、いよいよ説明を受けに病院に向かいました。
テーブルに着くと、先生2人(1人は心臓専門)看護師1人の計3人と私。
てっきり先生1人からの説明かと思っていたので、これはただ事ではないかもと思い始めます。
テーブルについたその矢先、目の前に座った先生のプリントに「染色体異常」の文字が。
これはヤバイ
そう確信しました。
重苦しい雰囲気の中、先生が話し始めます。
「心臓はかなり悪い」「小脳も小さい」「低体重」などなど
そして「これらを総合的に見て染色体異常の可能性が高い、手や足に特徴が見られる」
「18番目の染色体に異常がある18トリソミーの可能性が高い」
「この18トリソミーが生命維持的にかなり悪い遺伝子異常」
との説明が
もう普通に聞くことは出来ません。
ただ涙を流しながら聴いていました。
「やっぱりか」と
次に心臓の専門の先生からの説明がはじまりました。
病名が色々出てきます。
4つほど
ほぼ放心状態で聞いていたので詳しくは覚えてませんが
「穴を塞ぐ手術には体重が足りない、その前に別の手術をして体重を増やしたあとで穴を塞ぐ事ができる」と
一通り説明が終わって私は泣きながら聞きました
「この子は何歳まで生きられそうですか?」
先生「18トリソミーは一般的に1歳まで生きる確率が1割です」
「ですが当病院では約5割です」
完全に絶望感に襲われました。
1歳まで1割なら普通に暮らすようになるどころか退院すら出来ないかもしれない、抱きしめてあげる事もその瞳に私たちを写すことすらも叶わないかもしれないと。
色々説明がありましたが、先ずは染色体検査をして結果を見てどうすか考えましょうという事になりました。
検査結果は約2週間後に出るらしいです。
などなど色々ありながら私は宿に帰宅
それまで私はこの病院すぐそばの宿にいる事にしました。
そこで1つ問題が出てきます。
妻への報告です。
今、帝王切開でお腹を痛めて自由に動けない状態で孤独に耐えている妻になんと説明しようかと。
悩んでいるうちに妻からどんなだった?とLINE
私は「色々大変だけど聞く?」と返事
すぐにビデオ通話がきました。
すでに号泣だった私を見て妻は少し状況の悪さを察したと思います。
妻に説明していきます。
「18トリソミーの可能性が高い」
説明した瞬間に妻も泣き崩れます。
「もしかしたらそうかもしれないと思っていたけど見た感じは普通の可愛い長女に似た赤ちゃんだったから大丈夫と思っていたのに」と
2人で号泣です。
妻「でもそうじゃないかもしれないんでしょ?」
私「手とか足に特徴が出てるみたいだから多分そうだと思う」
妻「見た目は普通の小さい赤ちゃんなのにね」
しばし2人で号泣
妻も自分なりに赤ちゃんの特徴から18トリソミーかもと思って色々調べていたようです。
ですので18トリソミーがどのようなものか分かっていたので「18トリソミー」のワードだけで事の深刻さはすぐに理解していました。
そして寿命が短い事、長く生きても重い障害がある事を伝えました。
現状では体が小さく、大掛かりな手術はできないので、遺伝子検査の結果を待ってその結果によって今後の方向を決めるらしいとの事を伝えてその日は終わりました。